Part1
( 1 ) 次の文章の空欄に入る言葉として適切なものはどれか。

  今日の電子計算機は特定の機能ばかりが進歩して、かえって人間の脳のもつ特有の能力から遠ざかってしまった。たとえば、物の形から何かを類推したり、人の 顔の特色を瞬間的に捕らえたりすることは、人間には容易なのに、電子装置ではまだうまく扱うことができない。(          )結局、材料として、 有機物質、たとえば人間の脳や筋肉と同じような、たん白質などの分子レベルでの働きにあらためて注目する必要に気がつく。脳細胞でのいろいろな働きは、化 学的、電気化学的な原理と、分子レベル特有のメカニズムによって全体として特有の活動をしているものと考えられる。


( 2 ) 次の文章の空欄に入る言葉として適切なものはどれか。

  外国から動物を輸入するさい、現在は農水省と厚生省が連絡して狂犬病ウイルスが感染していないかどうか、検疫をした上で輸入している。わが国は狂犬病に関 しては圧倒的な先進国であり、この病気は近年まったく発生していない。だが、狂犬病以外となるといっさい検疫はない。人間に対する病原性のあるウイルスが ペットとともに輸入されてこないかを十分チェックする必要があるのに、いわば野放し状態で、ペットや研究所の実験動物は基本的には検疫を受けていない。 ペットとして輸入された猿の検疫は農水省で行うが、これも猿自体がかかる病気についてだけで、猿から人間にうつるかもしれないマールブルグ・ウイルスなど の検疫は一切やっていない。エボラ出血熱とかラッサ熱など、ペットによって感染することの多いウイルスについても(          )


( 3 ) 次の文章の空欄に入る言葉として適切なものはどれか。

  コンピュータが、人間の知的活動に大きなインパクトを与えたし、コンピュータ・ネットワークの力を産み出していくことにつながるわけです。コンピュータ・ サイエンティストはプログラムを研究していると言いましたが、プログラムというものはソフトウェアです。いまではソフトウェアという言葉は、より広く人間 の知的な生産物全般を指すようになっていますが、この段階で、(          )がソフトウェアの作業をし、そのソフトウェアがコンピュータのなか に蓄えられる、ということになりました。コンピュータのソフトウェアは、ある人が最初につくり出したあとは、ほかの人はそれを使いながら、新しいことを創 造していく。そのようなつくり方が効率的です。したがって、コンピュータ・サイエンティストは、ソフトウェアを共有したり交換したりしながらつくっていく 環境を強く求めるようになりました。これが、コンピュータ・サイエンティストたちのあいだからコンピュータ・ネットワークが生まれる動機だったのです。


( 4 ) a〜eの文の意味が通るように並び替えたものとして妥当なものはどれか。

a.それは日本人の観念となり、自由を束縛する構図として、内向的な人が落ち込んでくるのを待っているのである。
b.それは決して個としての自覚に基づいた思考でもなければ、感情でもなかった。
c.思えば、日本人にとっては思考といい、感情といっても、常にこのような封建的な制度の中で作られたものであり、女はやさしく、おとなしく、男は強く、支配的であらねばならないといった集合性を持っている。
d.それは、日本人こそは、という一方的で奇妙な精神性となり、それで他を支配しなければ気がすまない攻撃性さえ持っている。
e.日本人の内向的な直感や感覚は、自分の精神に集中するが、そこには、かつての封建的な厳しい枠組もまた、後を引いて残っている。


( 5 ) A〜Eの文の意味が通るように並び替えたものとして妥当なものはどれか。

A.この四現業の職員は公共企業体等労働関係法(公労法)により、団結権のみ認められ、争議権は認められない。
B.以前は、郵便事業、国有林野事業、印刷事業、造幣事業、アルコール専売事業の5つが国の五現業とされていたが、アルコール専売事業が、新エネルギー総合開発機構に1982年に移管されたので四現業となった。
C.国または地方公共団体の行う業務のうちで、非権力的、経営的性格を有するものを現業と称し、権力的性格を有するものを非現業と称する。
D.組合と当局側の賃金紛争が解決しない場合は、公共企業体等労働委員会(公労委)が行うあっせん、調停、仲裁により処理される。
E.しかし両者を区別する基準は明確ではない。


( 6 ) A〜Eの文を意味が通るように並び換えたものとして、妥当なものはどれか。

A.独創性があるということは、陳腐でないということである。
B.そういう独創性が、綿密な、周到な、新鮮な、そして傑れた技法と結びつけば、そこには必ず、一般の人々にも充分に理解し得られる独自な「面白さ」が生まれてくる筈である。
C.映画の真の「面白さ」は、何よりもまずそれの独創性に基づくべきものである。
D.陳腐でないということは、対象を観察する作家の眼に独自の鋭さがあり、従ってそれの批判にも独自の解釈があり、ひいては主題そのものにも独自の深さがあるということである。
E.今までに良い映画とか芸術的な映画とかいわれたもののなかに、一般には面白くないとか難解なものとかされていた作品があったのは、要するにそれがその独創性を充分に噛みくだいて表明することを怠っていたと云っていい。


( 7 ) 次の文を読んで、筆者の主張と合致するものはどれか。

  内気で閉鎖的な人は、内向型で、客体を無視する態度をとる。彼がいつも考えているのは、結局のところ客体からリビドーを奪い取ることであって、まるで客体 が優位に立つことを防がなければならないかのようである。それとは逆に、愛想がよく陽気な人は、外向型で、客体に対して積極的な態度をとる。彼は客体の意 義を高く評価しているので、自分の注意をいつも客体に向け、それと関係づける。もしこれが意識的な意図で選ばれた方向であり、行為だとすれば、内向、外向 というような対立がこれほど普遍的にみられることはないだろう。もしそうならば、おそらく同一の教育や教養を持ち、地域的にも限定された特定の階層の人々 は、みな同じ態度を持つことになってしまう。しかし、実際には、これらの2つの性格は、ばらばらに分布していて、同じ環境にあり、同じ親に育てられた兄弟 姉妹の中でも、ある子どもは内向的であり、別の子どもは外向的である。どうやらこうした態度は偶然に分布している普遍的な現象であって、意識的な判断や意 図には関係がなく、たぶん無意識的で本能的な基盤から来たものにちがいない。したがって性格の対立は普遍的な心理現象であり、なんらかの生物学的な先駆形 態を持っているにちがいない。


( 8 ) 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。

  個体発生と系統発生の並行関係をみとめる学説を、一般的に反復説とよぶ。「反復説」は、最初にドイツの生物学者・ヘッケルが提唱したもので、その要旨は、 「個体発生は系統発生の短縮された、迅速な反復である」というもので、簡略に「個体発生は系統発生をくりかえす」という命題で周知されている。この学説が 出されて以来、古生物学者は化石の系統発生を追究する方法論と認識論をえたことになり、たちまち信奉者が続出したが、同時にこれに反対する学者もあらわ れ、ヘッケルは、「完全な反復は適応のために改革され、改造される」といういいわけのような発表を追加することになった。近代主義の生物学者は大半が反復 説に反対、というか、洟もひっかけない、というのが真相であろう。では古生物学者はどうだろうか。一部の、新ダーウィン主義に追従する古生物学者は、口で は反復説を批判しながらも、大自然に肌で接し、長大な生命の歴史をじかに感覚している大半の古生物学者もろとも、その現実の思考過程は、いまなお牢固とし た反復論者である。


( 9 ) 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。

  シックハウス症候群軽減をめざして改正建築基準法が施行された。新しく規制の対象となる化学物質は、クロルピリホスとホルムアルデヒドの2つ。クロルピリ ホスは、主として白アリ対策などの防蟻剤や塗布剤として使われるが、これを含有する建築材料は居室を有する建築物にはいっさい使用が禁止となった。クロル ピリホスは、有機リン系の化学物質で、ごく微量でも、人によっては、けいれんや吐き気、目まいなど、人体に悪影響を与えるといわれており、この全面使用禁 止は、症候群の軽減効果が大きいだろう。一方のホルムアルデヒドは、壁紙や合板、家具などの接着剤原料として使われる揮発有機化学物質。発がん性があるほ か、アトピー、ぜんそく、アレルギーなどの原因物質になるといわれているものだ。そこで、ホルムアルデヒドを発散する建築材料の使用面積制限と24時間機 械換気設備の設置を義務づけることで、規制を強化した。ホルムアルデヒドを出す建築材料の使用面積制限は、一定の規定で使用面積を算出することにした。た だし、この規制は、高気密、高断熱に力点を置いた住宅が対象で、開放型の真壁造りの在来木造工程の住宅は対象から除外されている。


( 10 ) 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。

  病跡(Pathographie)というのは今日では、「或る傑出人の異常な性格特徴、或いは精神病理学者の興味を惹く精神過程の側面、そして、それが其 の人の一生と作物とに与えた影響の跡を明瞭にしようとするビオグラフィー(Biographie伝記)の一形式である」とされ、更に進んで病跡学 (Pathographie-Lehre,W.Lange-Eichbaum)として学的な体系さえ要請されかかっている。ともかく、パトグラフィーは 會っては、「天才と狂気」という標題の下で喧伝された沿革の示す通り、一方では人世の価値創造者と目される人々を、他方では人世で最も嫌厭される狂気との 連関において見て来たものであり、しかも価値の真義も、狂気の本質も共に今日なお不明な部分が多いだけに、冒頭の如き控え目なパトグラフィーの規定になっ て、両者の直接的連関は否定されてはいるものの、その解明の大部分は今後の残されているのである。パトグラフィーなる成語はメビュウス (P.Mobius,1853-1907)に始まるし、綿密な事実の調査確認を基礎とすべく努めた最初の人であり、其の門よりヴロイティン、イエンチュ、 ランゲ・アイヒバウム等幾多のパトグラーフ達を輩出せしめた点などにより、現代精神医学が氏をパトグラフィーの発頭(Anfanger)に据えたことは尤 であった。


( 11 ) 次の文章の要旨として最も妥当でないものはどれか。

  厳密に区別すれば、「事実」はそのままの形では単なる日常経験の範囲を出ない一時的な現象であり、普遍性もなく、従って形而下的な経験たるにすぎないもの だが、「真実」は普遍的であり、現実の圏内を越えた形而上の真理の世界に属するものである。簡単に云えば「事実」は経験するものである、「真実」は直観す るものだとも云えよう。元来が比較対照されるべき性質のものではない。が、強いて比較するとすれば、「事実」の持つ迫力は、それが現実の出来事であるとい う特殊性において原始的な印象力を持ち、「真実」はそれが人間全体に対する真理を含んでいるという点で普遍的な浸透力を持っているとも云えよう。従ってそ の印象性においては「事実」の方が強く、その浸透性においては「真実」の方が強いとも云えるかも知れない。


( 12 ) 次の文を読んで、筆者の主張と合致しているものを選択しているのはどれか。

  「民族文化」は、歴史の示すように、おそるべき国家行動を発現させやすい要素も伴ってきている。したがって、そのような危険を回避するという観点から比較 研究が「民族文化」の諸属性を評価することはありうるし、当該民族にそのための意識化を要請することもありうる。これは、「民族文化」の自然な変容や人類 の統一的な世界へ至らんとするゆるやかな動きに、その解決をゆだねるわけにはいかない現実的な問題だからである。ただこの場合、クリティカルな問題の所在 を明らかにできるのは、比較研究に固有の相対的把握によってではなく、それと相補関係にある関係的把握を介してである。比較研究における「民族文化」の諸 属性の同定は、自由かつ多面的になされるべきものではある。しかし、この問題への対応を精緻かつ適切なものにするという実践的な課題を負うことが、比較研 究の存立にかかわる主張を首尾一貫させることになると思われる。

A.「民族文化」の比較研究で、その諸属性を評価することは危険だからさけるべきだ。
B.「民族文化」は、おそるべき国家行動を発現させる要素をもっている。
C.人類の統一的な世界に至るためには、「民族文化」の自然な変化やゆるやかな動きにゆだねるべきだ。
D.「民族文化」の比較研究で問題の所在を明らかにできるのは相補関係にある関係的把握を介してである。
E.「民族文化」の比較研究の諸属性の同定は自由かつ多面的になされるべきだ。


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